「宿り木」(江口司)

『宿り木』
江 口  司

今、私は「宿り木」に夢中になっている。それというのも一昨年、民俗学者・谷川健一さんと九州山地を横断する小さな旅の機会を得、話を聞いた折り、九州山地の宿り木の方言について調べるよう依頼されたことからである。今年の谷川さんからの年賀状にも、そのことを記してあり、ようやく先月の二十五日に湯布院で、宿り木に関する次のようなレポートを提出することができた。熊本県の五家荘では、年輩のほとんどの方が宿り木のことを「ホヤ」と呼んでいる。落葉したブナやミズナラに着いた宿り木の丸い形が、灯りのランプのホヤ(炎を覆う筒)に似ているからだという。また、乙益正隆氏の『熊本県植物方言と民俗』には
「ランプにすすが着くことをホヤが着いたと言う。ヤドリギはいらないものがついたという意味」とある。このように、現在では「いらないもの」という意味で呼ばれる宿り木だが、古い時代には重要な意味をもっていたことをうかがわせる資料がある。城東町の松浦豊敏さんが、万葉集・巻十八、四一三六の歌を教えてくれた。あしひきの山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて插頭(かざ)しつらくは千年壽(ほ)くとぞ解題に「天平勝寳二(七五〇)年正月二日国のまつりごとどころの宴の歌の一首、守大伴宿禰家持作れり」とある。正月二日の国の行事に山から宿り木(ホヨと呼ぶところもある)をとってきて頭にさし、千年を寿いだということである。九州山地では現在も、正月二日に主人が山の恵方に行き、真っすぐな常緑樹の若木を伐って来て、必ず頂きにトビ紙(白紙に米粒を包んだ三角形の目立つもの)をつけ、家の軒に立てる。葉のついた頂きを丸く剪定する所もあり、まさしく宿り木を思わせる。このトビ紙に似た物に、椎葉神楽で舞い手の鉢巻きに挿される三角形の白紙がある。一見すると死者の頭につけられるものと同じだが、これを「宝冠(ほうかん )」と称している。すこし穿った考えだが、この宝冠は「ほよ」の宿り木ではないだろうか、遠い昔の呪術法が変化し、忘れられ、現在はトビ紙になったと私には思えるのである。以上のような報告に、谷川さんは「特にトビ紙のことが刺激的だよ」といわれ、短い時間だったが、宿り木の深層について示唆を得ることができた。その翌日には、松浦さんから「熊本市の広町にある小さな花屋さんの軒に宿り木が下げられている」と連絡があった。その宿り木をアレンジメントし、お店に掲げたオーナーの勝木裕子さんによると、北欧の文化で宿り木は「神聖なもの、幸運をもたらすもの」とされており、クリスマスのころ軒に下げているという。どうも、キリスト教以前のケルトの神話が影響しているようだ。宿り木には、私たちが忘れてしまった深遠の呪術的風景が、東西に横たわっているようだ。

熊本日日新聞夕刊
「こんな物があった」原稿
平成12年12月27日付